Wednesday, January 1, 2014

横井由利-変化を恐れず前進する『エル・ジャポン

1997年5月号『エル・ジャポン』の表紙には「エルがかわりました!」と、高らかに宣言する言葉が記されていた。本を開くと、Dear Readers From Editorのルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON) モノグラム フェイボリット MM M40718 バッグ Louis Vuitton monogram Faye button lit MM M40718 Bagページがあり、就任したばかりの森明子編集長は「今日をいきいきと過ごし、明日を楽しく生きるために、ポジティブで自由な発想をし、人と人とのコミュニケーションを大切にする」そんな女性達に必要な情報を、世界各地から、ヴィヴィッドな視点で編集しますと、まだ見ぬ読者にメッセージを送っていた。

それまでの『エル・ジャポン』(タイムアシェットジャパン社になってから)は、良くも悪くも仏版をお手本にしたフレンチ・テイストを前面に打ち出すことで、一定の評価を得ていた。ただ、本国のアシェット社は、1985年の米版『ELLE』成功から進めてきた世界戦略の見直しは延々と続き、『エル・ジャポン』も更なる飛躍を狙う秘策を必要としていた。

そこで、当時の石橋正代社長始め仏本社のインターナショナルのディレクターが白羽の矢を立てたのが森明子だった。フランスのディレクターに、編集長には何を求めるかと率直に訊ねると、まずはビジネスで成功すること、と言われました。それに対して、私が編集長になったら、これまでのやり方をまったく変えちゃいますよ!エルではタブーとされたことをやると思います。エルを脱皮させる覚悟とその了解を取り付けて、編集長を引き受けることになりました」と、森編集長はいう。

創刊号には、大胆にもラグジュアリーブランドの双璧、Hermes vs. Chanel と対比することでブランドの違いを際立たせる特集を組み、オートクチュール・コレクション速報を大きく取り上げ、パリブランド・ガイドブックを付録に付けた。時代はグッチにトム・フォードが就任し、クリエーティブディレクターというポジションを知らしめた頃。他のメゾンも続々とデザイナーが代わっていった。

私が編集長になった頃は、モード界も大きく変化した時代でした。ディオールにはジョン・ガリアーノ、ジバンシィにはアレキサンダー・マックィーンがデザイナーとして就任しクリエーションを競い、ルイ・ヴィトンのプレタが始まりマーク・ジェイコブスが抜擢された。バレンシアガに就任したニコラ・ゲスキエールは若者にも人気を博していました。業界がダイナミックに動き、ブランドビジネスの新しい展開が始まった時ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON) モノグラム エデン PM M40730 バッグ Louis Vuitton Monogram Eden PM M40730 Bag期でもありましたから、モード誌として、エルはいち早くその熱気を伝えようとしました。そうして、パリのフレンドリーなブランドからオートクチュールまで、情報量を増やすことと、奥行きを持たせることで、日本女子の端から端までカバーしようと思いました」

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