Wednesday, January 1, 2014

近代の超克」とは何だったのか? 1940年東京夏季オリンピックという幻影

そのため、彼らは「全く新しいゲームのルールを示すのではないか」と徐々に我が国を注目し始めている。2020年に夏季オリンピックが東京で開催するよう決定したのは明らかにそのせいである。それ以外にも数多くの場面で「JAPAN」「ニッポン」が選ばれることが多いのは、行きづまりを見せた米欧の金融資本主義の次に出て来る「リモワ マルチホイール 82L【SALSA】数量限定勝ち馬」に乗ろうという米欧のエリートたちの意向によるものなのである。決して私たち日本人の努力によるものではない。

ただし、いずれにせよ我が国はそうしたわけで新しいゲームのルールを示すチャンスを、今後少なくとも2年余りは続くことになる「日本バブル」の間だけ得ることになる。つまりそれを通じて「パックス・ジャポニカ」=我が国が示すルールによって世界秩序が新たに整えられていくことを実現できるというわけなのだ。もっともエリート層を除けば米欧においては実のところ未だに「日本蔑視」が渦巻いている。「平成バブル不況を20年も続けてきた国に何が出来るというのか」あるいは「日本は結局、米欧のゲームのルールになじめないはぐれ者」というわけだ。したがって米欧の一般層にこれから起きる「パックス・ジャポニカ」への転換を広く知らしめるべく、私は公式英語ブログでこのことを昨年秋から表現し始め、毎日諸外国からのアクセスを得るようになってきている。

かつて我が国がこうした自覚、すなわち「文明論的な自覚」をもって何をなすべきなのか、真剣に考えた時代があった。時は1940年代前半、いわゆる「近代の超克」という議論である。戦後になって竹内好がいわゆる京都学派を中心に行われたこうした取り組みを批判的に総括してしまったため、この議論は「太平洋戦争を正当化するために行われた当時の文化人たちによる時局迎合の議論」といった形で語られるか、あるいはそもそも意味のないものとして忘れ去られてしまっている。

しかし当時の議論を仔細に振り返れば分かるとおり、議論に参加する者たちのベースにあったのは、今と同じか、あるいはそれ以上に鮮明であった「米欧の文明がもはや限界に来ている」という認識であった。「共に文明の主であり、兄弟リモワ マルチホイール 63L【SALSA】数量限定であったはずの米欧諸国が違いに総力戦で死闘を繰り広げる」という前代未聞の出来事が起きた第一次世界大戦。その後「西洋の没落」を著したオスヴァルト・シュペングラーに代表されるように、そのことは米欧のエリートたちにとって余りにも衝撃的な出来事なのであった。しかも第一次大戦後、結局は1920年代末から米欧は世界大恐慌の渦へと巻き込まれることになる。我が国もこれに当然巻き込まれるが、いくつかの幸運が不思議と重なり、1930年代は「相対的に」米欧よりも景気の良い自体が続いたのである。幻となった「1940年東京夏季オリンピック」が決定されたのも正にそうした流れを背景にしてのことであった。「今こそ、米欧は我が国がリードする形での世界秩序の再編を望んでいる」我が国の知識人たちがそう力み、論じたのが「近代の超克」だったというわけなのだ。シラけ」る国民と安倍晋三政権の目論見、そして「見えている挫折」

そして時代は下って今年=2014年。「我が国が米欧との比較で相対的に優位である」という状況が再び訪れている。夏季オリンピックの東京開催決定の例を引くまでもなく、明らかに「あの時」と「今」とは極めて似通っているのだが、一つだけ決定的に違うことがある。それは他でもない、私たち日本人自身の意識があまりにも打ちひしがれ、自信喪失に陥っているということである。もっと言えば、70年前にはすることの出来た「近代の超克」といった国際社会のグランド・デザインに関する議論を行おうという向きが日本社会のどこを見てもいないという、悲劇的な状況に陥っているのだ。

そうした時代情況を露骨に物語っているのが、日本株マーケットにおける「個人」が主体となった怒涛の「日本売り」という現実である。民主主義というシステムで他ならぬ「国民」によって選ばれたはずの安倍晋三総理大臣が「アベノミクスは2014年も買いだ」と叫ぶが、実は他ならぬその個人としての「国民」こそがアベノミクスを売り崩すのに躍起になっているというわけなのだ。政府が日銀を押し切る形で「異次元緩和」を強行させ、円安とインフレを誘導し始めたのは良いが、肝心の「国民マインド」が全く冷え切ったままだというわけなのだ。

私自身、今月開催する恒例の年頭記念講演会で話そうと考えているのだが、我が国の政・官・財界の要人たちはその様子を直接・間接的に見聞きする範囲において、こうした「国民マインド」は最終的に押し切れると考えている節がある。

株価を公的・準公的ファンドによって押し上げれば、国民は結局のところ『バブルだ』と舞い上がり、有頂天になって言うことを聞くはず」というわけだ。10月以降の日本株マーケットを見ていると明らかに我が国の金融セクターの最大手たちはこうした暗黙の了解に基づき、一つ一つ地歩を固めてきていることが分かる。無論、その背景に安倍晋三政権とそれを支える財政金融当局の深謀遠慮があることは言うまでもない。

0 comments:

Post a Comment

Share

Twitter Delicious Facebook Digg Stumbleupon Favorites More